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神が聞かれる

■聖書の箇所 サムエル記第一3章

 サムエルという名前は、「神の名」とも、「神が聞かれる」という意味だとも言われますが、「神が聞かれる」という意味に心惹かれます。主は、私たちの祈りに耳を傾けていてくださり、私たちのことを心にかけてくださる愛のお方であるからです。
 主がサムエルの祈りを聴き、彼に語りかけられた内容は、衝撃的なものでした。エリは以前から息子たちの悪行に心を悩ませておりましたが、息子たちは父の言うことを聞こうとはしなかったのです。ここに、信仰者の家庭にも起こりうる残念な事態が記されています。私たちは、信仰を家庭の中で継承していくということの大切さを覚え、主の憐みと導きを真剣に祈り求めなければなりません。そして、信仰が子どもたち、孫たちに受け継がれているならば、そのことを何よりも喜び、感謝し、主の御名をあがめましょう。さらに他の家庭にもそうした恵みがもたらされるように、祈りたいと思います。

 ホレンコ1月号の中に、ルーテル教会江口武憲牧師の深い洞察と示唆に富んだ言葉が紹介されていました。
「困難な事態、あるいは不幸な状態、それを解決し、救済するのに、いくつかの方法がるように思われることがある。しかし、解決の方法はいくつもあるわけではない。一つだけである。言葉の最も深い意味において、それを自分の責任として背負うことだけである。その事態を自分の責任として痛切に反省し、自分の課題として背負おうとする。それだけである。そこからおのずと神に祈る姿勢も生まれて来る。生きる道も開けてくる。」
主イエスは言われます。「日々自分の十字架を負ってわたしに従って来なさい」。

 エリのように、それがどんなに自分に不利な言葉でも、「その方は主だ」と真に告白できる人は幸いな人です。その告白が、願わくは、晩年になってからではなく、日々の告白となるなら、その積み重ねである一生は、真に祝福されたものとなります。今日という日は、私たちに残された日々の一番新しい日です。このあなたの若き日に、造り主を覚え、「我が主よ、我が神よ」と告白し、新年を主の御言葉に聴き従って歩みだすことができますように、祈ります。

by nazach | 2019-01-06 14:38

札幌ナザレン教会 牧師 古川修二のメッセージ


by nazach