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共に歩むイエス(礼拝)

■聖書の箇所 ルカによる福音書 24章13節~34節

 前任地の城陽教会で、繰り返し紹介した言葉があります。
宗教改革者のカルヴァンが、キリスト教綱要という本で、教会とは何かという議論の中で、その結論として述べたことです。
 「かくて、見える教会は、われわれの視野にはっきりと浮かび上がってくる。なぜならば、神の言葉が純粋に説教され、聞かれ、聖礼典、すなわち洗礼と聖餐がキリストの制定に従って執り行われるところ、何処においても、神の教会が存在することは、疑うべからざることである。何故ならば、神の御約束は欺くことはありえない。すなわち、『ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである』と言われているとおりである。」

 さて、本日の聖書箇所には、主イエスが復活された日の午後、エルサレムからエマオという村へ行く途中であった二人の弟子に、主イエスが付き添って歩いて行かれたこと。村に近づき、イエスがなお先へ進み行かれる様子であったので、しいて引き止めて、「私たちと一緒にお泊りください。もう夕暮れになっており、日もはや傾いています」と言ったことなどが記されています。
 この聖書箇所を題材にした絵が描かれています。イースター礼拝で使用し、今週の週報にも使わせていただいた、木漏れ日の下を共に歩く絵もありますが、最も有名な絵の一つは、レンブラントの絵で、弟子たちと共に食卓につく場面が描かれています。テーブルにつく主イエスの両足が異様に太いことに気づかされる絵ですが、そこには作者レンブラントの、確かな聖書の読み方があるように思います。すなわち、その両足は、誰も打ち破ることの出来なかった墓を打ち破った力強い両足であり、その足で私どもと共に困難な人生を歩んでくださる主イエスのたくましさが、そこに見事に描かれています。

 ところで、ルカはこのとき、復活された主イエスが共に歩いてくださった弟子のうちの一人の名前を記しました。どうして一人だけなのか、もう一人は誰なのか、その後二人はどうなったのかもよく分からないのですが、ともかくひとりだけには、クレオパという名前が残っているのです。いくつかの伝説があり、この人が主イエスの親族であったとも言われていますが、その名前がここに書き記された理由は、この人が主イエスの親族であったということではなく、復活された主イエスが、一緒に歩いてくださった人々の一人であったということだと思います。そして、だからこそ、ここに記録するに値する名であると思ったに違いないのです。主イエスと一緒に歩いていただくことが許された幸いな人であったということを心に留め、ルカはこの人の名前を記したのでしょうし、それを読む人々も、私たちもその恵みに与りたい。いや、必ず与ることができると信じ、感謝しながら読んだのだと思います。
 
 植村正久牧師が語っていることですが、説教とは何かということを解説した文章の中で、「それは生けるキリストを、人に紹介するものである」と記しました。これは説教の定義として簡潔で的確なものだと思います。
 牧師が語る説教は、いわゆる「お説教」ではありません。その言葉の中にイエス・キリストが語られていなければなりませんし、それも、かつて存在した人物としてのキリストを語るだけではなく、その偉大な教えを語るだけでもありません。偉大な教えなら、その当時にも、似たようなものがありました。現代においては、私たちは様々な書物や情報手段を通して、幾つもの素晴らしい教えを知ることができます。しかし、教えだけでは人を救うことはできないのです。主イエスが十字架の上で、息絶えたときに、その光景をじっと見つめていたローマの兵隊が語りました。「本当にこの人は正しい人であった。」そして、本日、私たちに与えられている聖書の箇所で、二人の弟子は、主イエスについて語ります。「あのかたは、神とすべての民衆の前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、祭司長たちや役人たちが死刑に処するために引渡し、十字架につけたのです。わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。」お気づきのとおり、それらの言葉は、どんなに素晴らしくても、もはや過ぎ去ってしまった過去の言葉で記されています。これでは人は救われないのです。

 使徒パウロは、コリント人への手紙の中で、次のように語りました。
「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる」と。パウロは何を言いたかったのでしょうか。何を伝えたかったのでしょうか。それは、キリストの福音はただの立派な教えではない。人の死ですべてが終わってしまうようなむなしいものではないということです。死を乗り越え、信じるすべての人々に与えられる永遠の救いと希望について、彼は語っているのです。だからこそ、いつも、どんなときにも語り伝えなければならないメッセージなのです。

 主イエスが復活された朝に、主のお体が横たえられていた墓を訪れた女性たちに、天使は語りました。「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。ここにはおられない。よみがえられたのだ」と。主イエスへの深い愛情を持って墓を訪れた女性たちに、天使と思われる存在は、あなたがたのその信仰と愛だけではだめだと言いました。キリストを、死にさえも打ち勝ってよみがえられたお方として知り、さらにそのお方が私たちの人生のそのすべてに寄り添いながら生きてくださるお方、私たちを真に生かすお方として信じなければ、一切はむなしいというのです。しかし、感謝すべきことに、主イエスはまさに、そのようなお方して、この世にお生まれになりました。そのように生きてくださり、十字架にかかり、私たちの罪をその身にすべて背負って死なれただけではなく、その墓を打ち破ってよみがえり、そのいのちを私たちに与えてくださるお方なのです。この主によって、私たちはこの世の何者にも勝る神の平安と喜びを受けることができるのです。その救いの道が今、すべての人々に、わけへだてなく、開かれています。それが聖書の教えであり、メッセージです。
 
 ところで、エマオへの道を歩む二人の弟子たちについて、多くの絵が描かれ、語られてきましたが、この弟子たちは当然のように男性として描かれてまいりました。壮年の男たちです。しかし、ある注解者は、もしかすると、少なくとも、一人は女の弟子ではなかったかと想像しています。夫婦であったかもしれないというのです。興味深く、可能性の高い想像だと思います。エマオという村がどこにあったのかということも断定することはできませんが、有力な候補地が二つあり、そのいずれもがエルサレムからは真西に当たります。復活日の午後、夫婦であったかも知れない二人の弟子がエルサレムの都からエマオを目指して歩いていた。それはいわば日没に向かっての旅立ちでありました。青年のように、希望に輝いて、明るいビジョンに向かって、勇気に満ちて意気揚々と旅を続けたのではなく、夕日に向かい、刻々と迫る闇に追われながら、旅立っていったのです。しかし、そこにイエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いてくださいました。まだ、彼らはその旅の人が主イエスであるということがわかりません。しかし、日没に向かう二人の旅に、もしかしたら、夫婦であったかも知れないその二人に、主イエスが寄り添われたということに私たちは注目したいのです。
 
 昨年12月31日に、城陽教会の後任牧師が内定し、私たちが城陽を出ることが決まりました。私たち夫婦にとりましても大きな変化でしたが、城陽教会に関係する方々にとっても大きな変化が訪れました。牧師も信徒も、牧師が交代するということになれてはいなかったからです。
しかし、そうした中でそれまでどんなに努力してもどうすることも出来なかったことが起こってまいりました。その一つが長い間、教会に通う妻たちを人事のように眺めていた夫たちが、真剣に神の救いを求め出したことです。70代、60代、そして30代の夫たちでした。そして、そのうち二人は主イエスを信じて洗礼を受けました。
 2月に洗礼を受けたかたは、主イエスを信じて、決心するときに、このように言われました。「礼拝に出るようになり6回目です。正直に申して、お祈りもできず、賛美歌もまだ歌えません。しかし、先生の説教が私の心に響いています。信じて洗礼を受けさせていただきたいのです」と。
 3月に洗礼を受けた方はもう70代半ばの男性でした。50年前に結婚するとき、妻が教会に通うことだけは認めたが、家に信仰を持ち込むことは拒み続けた。今まで、転勤で4つの教会の牧師たちに家族ぐるみで世話になり、信仰を勧められてきたが、人に言われて行動するのが大嫌いで、無視し続けてきた。
しかし、今回、私たちが札幌に行くということを聞き、「正直あせりました。信じて洗礼を受けたいのです」といって決心をしてくださいました。この方はそのように言っても、時々は礼拝に出席していましたし、教会の奉仕も喜んでしてくださる方で、洗礼だけを受けてはいなかった方でしたので、私は洗礼準備会の最後に次のように言いました。「Nさんの場合は、決心をしたということが尊いことです。あとのことはどうぞ、奥様によく聞いて、従ってください。」
 もう一人の30代の男性は、3月21日の送別会で、私の手を握り、長い時間離しませんでした。そして、次の週、城陽での最後の礼拝の後、これからも礼拝に出席すること、聖書を良く読んで洗礼を受けることを約束してくださいました。


 エマオ途上の弟子たちは、彼らに近づいてこられた主イエスを、その目指していた村にたどり着いたときに、強いて引き止めました。そして、私たちと一緒にお泊りください。もう夕方でしょう。これから先、旅を続けることはできないではありませんか、と言いました。さらに、この弟子たちは、彼らに聖書を説き明かしてくださったお方との交わりを強く求めました。そして、その交わりの中で心が開かれて、主イエスのことを深く知ることができたのです。お姿が見えなくなったときに、彼らは互いに言います。「道々お話になったとき、また聖書を説き明かしてくださったとき、お互いの心が内に燃えたではないか」と。
 そのときはまだよく分からなかった。彼らは後で分かったのです。鈍感といえば鈍感なのかも知れません。しかし、それでもいいのではないでしょうか。すぐにわからなくてもいい。わかるときが来るのを静かに待つのです。私たちの信仰も、そのようにして成長していくのではないでしょうか。しかし、悟ることが遅くても、鈍くても、主の恵みを味わったときには、それを素直に喜び、感謝し、それを人々に証しするものでありたいと思います。この二人は、その喜びを証しし、伝える人になりました。昼から夕方にかけて彼らは、エマオへの道を歩いて来た。そして、夕暮れになり、そこに泊る準備をしていた。しかし、復活された主イエスとの交わりをしたことを、その喜びを知らせるために、彼らはすぐさま立って、エルサレムに戻ったのです。そこには、クリスマスの知らせを大喜びで人々に知らせた羊飼いたちのような感動があります。

 主イエスがこの世に生まれてくださったということ、主イエスが十字架についてくださったということ、さらに死からよみがえり、私たちの礼拝の中心にいてくださること、さらに、日常のごくありふれた生活の中にも、そのいのちを現してくださるということ、これ以上の喜びは、他にはございません。それはかけがえのない喜びです。しかし、この後、弟子たちは、彼らの交わりの中に現れてくださった主イエスの姿を見て、まるで幽霊を見ているように恐れ、取り乱したと記されています。主の復活の出来事というのは、それほどに、私たちの思いにはるかに勝る出来事です。だから、クリスマスの出来事まではわかる。十字架もわかる。しかし、復活のメッセージにはとてもついて行けないという人が多いのです。たしかに、それは、私たちの思いをはるかに超える出来事でした。しかし、だからこそ、私たちは、その出来事の証人とされた人々の言葉に耳を傾けるのです。そして、彼らがただの霊としてのキリストではなく、実際に手足をもってよみがえり、彼らと食事までもなされた主イエスのことを聞くのです。
 「そのように、主イエスはすべての困難に、そして、人類の最後の敵である死にさえも打ち勝ってくださった。そして、主イエスはその永遠のいのちを、それを信じるすべての人々にわけへだてなく、与えてくださるお方なのだ。」そのように信じ、弟子たちを通して語られる神の言葉を受け入れたときに、彼らは、静かな人生の喜びに心震えたのです。

 ナザレン教会の源流にあり、メソジスト教会の創立者ジョン・ウエスレーはロンドンのアルダスゲイトの夜の集会で、ルターの文章をある人が読んでいるのを聞いたときに、不思議にも心が燃え、「ただ、キリストによって、義とされたことを確信し、さらに聖化もまた神の賜物であって、人間の力で獲得するものではないことを理解するに至った」経験をします。そして、その日の日記に次のように記しました。「9時15分前頃、キリストを信じる信仰によって神が人の心に働いて起こしたもう変化について、彼が述べていたとき、私は自分の心があやしくも熱くなるのを覚えた。そして、キリストを、ただひとりの救い主であるキリストを信じた、と感じた。また彼は、私の罪を、私の罪さえも取り去りたもうて、私を罪と死の律法から救ってくださったとの確証が、私に与えられた。」私たちも、聖書の言葉に、それを説き明かす言葉に耳を傾け、心を静かに燃やされながら、成長し、前進するものでありたいと思います。

祈ります。
主なる神様。私たちのための主イエスの御復活を感謝します。そして主イエスが私たちの人生を顧みてくださり、共に歩んでくださることを感謝します。どうか、御言葉とその説き明かしによって私どもの心を開き、あなたのご存在と命の言葉を深く理解するものとしてください。そして、主のよみがえりのいのちに与り、その恵みを人々に証しし、共に喜び味わうものとしてくださいますように。特に、共に生きる私たちの家族を顧みてくださり、主イエスの救いに与り、共に喜ぶものとしてくださいますよう、主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
by nazach | 2010-04-11 16:02

札幌ナザレン教会 牧師 古川修二のメッセージ


by nazach