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神に造られた人

■聖書の箇所 創世記1章27節、2章4~7節

 神様は、「わたしに似ているように、人を造ろう」と言われました。まず、土で人の形を造ってからその鼻にいのちの息を吹き込みました。すると、土でできた人の形に命が入り、人は本当の意味で生きた者となりました。他の生き物との違いは何でしょうか。人は、神を信じ、礼拝することができます。神様に祈り、お話しをすることができます。動物は、礼拝や祈りをしません。私たちは、神様が私たちに何かを語りかけてくださったときに、その神様に向ってお応えすることの出来る者として造られたのです。それが「神様のかたちに造られた」「神様に似る者として造られた」ということの意味です。

 また、神様は「人を男と女とに創造された」と書かれています。このあと「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」と言われて、最初の人アダムのために、女の人エバをお造りになられたと書かれています。神が人を男と女とに造られたのは、お互いの足りない部分を補って助け合うためです。神様から与えられた大切な務めを果たすために、お互いが共にふさわしい助け手となるために、神は人を男と女とに造られたのです。助け手とは、単なる助手ではなく、神様が私たちの助け手であられるように、お互いになくてはならない大切な存在だということです。

 このように、神様は世界の創造の最後に人を、真心を込めてお造りになられました。そして、「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった、非常に良かった」と記されてあるのです。私たち一人一人は、そのように、神様にとって、特別な作品なのですから、自分のことも、他人のことも決して軽んじてはならないのです。主にあって励まし合い、支え合う信仰の友が与えられているということは幸いなことです。人は一人だけで生きることはできません。互いに支え合い、誰かのために生きるときに、人は人となることができます。「人は人の為に生きてこそ、人」と言った人がいます。聖書は「神と人の為に生きる時に、人は生きる者となる」と教えています。
by nazach | 2017-05-14 19:13

札幌ナザレン教会 牧師 古川修二のメッセージ


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