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弱さに寄り添う神

■聖書の箇所 ヘブル4章14~16節

    メッセージ  大山裕昭牧師

【序】

世に生きている限り、様々な試練や問題が襲ってきます。信仰を持つと、人や事柄に真剣に向き合おうとする分、問題は多くなるように感じます。目の前で起きてくる問題は、背後で起きている霊的な戦いでもあります(エペソ6章)。私たちを、神から引き離そうとする力が働いてきます。

人は、弱い存在です。けれども私たちは「主にあって」強いのです。弱さを自覚した時神に祈り求めるでしょうし、罪に気づいた時に十字架の贖いの大きさを知るでしょう。そして主から離れないように祈り続けなければならないと思わされます。

【本論】

今日の箇所の、新共同訳の見出しは『大祭司キリスト』となっています。祭司の働きは「とりなす」ことです。旧約の祭司は、動物の血をささげて、神と人との間に立ち、罪のためのとりなしをしました。しかし彼も人間なので自分の為にも贖いをする必要がありました。しかしキリストは聖い神の御子であって罪を犯されませんでした。だから完全に私たちをきよめることが出来ると、この後に述べられています。罪は犯されませんでしたが、人となられて人間の味わう全ての苦悩、痛み、悲しみを体験されました。またサタンの誘惑、試練、人々の中傷や、友からの裏切りも体験されました。だからこそキリストは私たちのことを理解し、共感し、慰めることができるのです。こんな苦しい事はないだろうと思う様な出来事でも、イエスはその全てを体験しておられます。そのお方が、私たちの主であり「とりなし手」であられるのです。キリストは、人となり、すべての痛みや辛さを経験された(ピリピ2章)「弱さに寄り添う神」です。だから私たちは十字架の恵みに信頼し、はばかることなく大胆に神の御前に出て、何でも祈り願うことが出来るのです。

【適応:私たちの応答として】

①イエスが弱さに寄り添う神であったように、私たちも弱い人に寄り添っていく。

②私たちも「万人祭司」としてとりなそう。家族や友人のために祈ろう。

③恵みの座に近づき続ける:礼拝を大切にし、家庭の祈りの祭壇を大切にしよう。

by nazach | 2016-08-28 18:50

札幌ナザレン教会 牧師 古川修二のメッセージ


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