札幌ナザレン教会 牧師 古川修二のメッセージ
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日本ナザレン教団 札幌教会

プロテスタント 福音派のキリスト教会です。
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札幌市中央区南16条西12丁目
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万事を益となされる神

■聖書の箇所 ローマ8章28、29節


 メッセージ 平原 知之宣教師


 今日の聖句は苦難の中にある人生の葛藤に対して、パウロが主の恵み、哀れみを示してくださる事をはっきりと断言していますが、私達の宣教の地でもこの様な主の恵みを体験することがあります。

 一人の人生に望みを失いかけた青年が信仰を持ったのですが、この青年に起こった悲劇の中から、その方の兄弟姉妹に全く考えもしなかったような福音の扉が開けられ、信仰が芽生え、その家族、親類、友人達にも福音が伝えられて行った事があります。私は、神様はなぜこのように悲劇、過酷な試練をとおして私達を神に導いてゆくのだろうか?と考えさせられました。

本日の聖句ロマ書8章の28節に「神がすべてのことを働かせて益として下さる。」とあります。

 私達の日々の生活の中で我々が避けて通れない困難、失敗、苦闘、試練を体験していく中でも、主はそれらを御心に添って益となしてくださいます。しかしこの28節だけを取りあげて、我々が勝手気ままに歩んでいったのではそれは神の御心には沿いません。28節は29節と切り離さずに解釈し、それは「神がすべてのことを働かせて益にして下さる。」のは「更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定められた」からです。これは「神がすべてのことを働かせて益として下さる」のは「我々をキリストに導き、さらにキリスト者をキリストに似る者とするがためである。」という事です。ただキリストに似る者となるという事は、キリストの喜び、平安、柔和というものばかりではなく、キリストの示された十字架の死に至るまでの従順、服従をも受けるという事を意味するのです。


 神は罪あるこの世界の中にあって信仰を持って神に従っていく者にはすべてを働かせて益として下さいます。そして神が最終的に私達の益として定めて下さっている事とは、パウロがエペソ1:4で言っている「神は天地創造の前にわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なるもの、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになられた。」という事なのではないでしょうか。


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# by nazach | 2017-07-23 12:49

罪を赦す権威

■聖書の箇所 ルカ5章17~26節


 四人の人々は、中風の人と心を一つにして、主イエスならば、必ず助けてくださるに違いないと信頼して、最後まで突き進みました。主イエスは、彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われたのでした。

 イエス・キリストは、この人にもうあなたの罪は赦されましたと、宣言されているのです。しかし、その宣言を聞いて、律法学者とパリサイ人たちは、反発します。「神への冒涜だ」と。彼らは、神だけが人間の罪を赦すことができると理解していましたが、主イエスが、神と同じ権威を持つお方であることを理解してはいなかったからです。主イエスは、彼らの判断を見抜いて言われます。「あなたの罪は赦されたと言うのと、起きて歩けというのと、どちらがたやすいか」と。


 表面上は「起きて歩け」というよりも、「あなたの罪は赦された」と言うほうが易しいように思います。しかし、けがれのない神が、罪ある人間の罪を赦すことは、決して容易なことではありません。その罪の赦しのためには、罪のない神の御子イエスがこの罪の世界に生まれ、その血が流され、十字架の上で死ななければならなかった。しかし、神ご自身が、天を突き破って御子イエスを私たちのもとに遣わし、私たちの罪を赦し、死に打ち勝たせてくださった。だからこそ、主イエスただおひとりだけが、人の罪をゆるすことができるのです。


 主イエスはこの時、人にはできない二つの困難なことを行って、すべての人の救い主であることをお示しになられたのでした。教会は、この驚くべきイエスにある真理を信じて、すべての人々を主イエスのもとに運ぼうと努力します。あの人は無理だと眺めているのではなく、この四人の人のように、愛と信仰と勇気をもって連れて来るときに、主イエスはその信仰を見て、罪の赦しを宣言してくださるのです。

 罪赦され、病も癒された人は、今や、床を担ぎながら、神を賛美しつつ家に帰っていきました。さらに、教会は、様々な理由で弱り切り、主イエスのもとにたどり着けない人々のために、主イエスの福音を携えて全世界に出ていく存在です。それこそが、教会本来の姿です。


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# by nazach | 2017-07-16 12:48

キリストのように

■聖書の箇所 テモテ第二  2章1~21節


 メッセージ 川原崎 晃 師


 パウロは、イエス・キリストにとらえられ、彼の存在と生涯に刻み込まれていました。それゆえに、「イエス・キリストを思い起こしなさい」と勧めています(8節)。

Ⅰ.共に恵みの主に仕える 1~8節

 パウロは、キリストによる過去・現在・将来にわたる大いなる救いの恵みに与っていることに堅く立ち続けていました(1章9~10節)。弱さを覚えるテモテに対して(1章4節、7~8節)、「恵みによって強くなりなさい」と勧めています(2章1節)。パウロ自身も、臨在の主の恵みを経験していました(4章17節)。

そのような中で、彼らは福音を委ねられ、また委ねることのできる者たちと共に、最後の勝利を望みつつ(2~~7節)、主の恵みによって仕えていたのです。その意味では、パウロとテモテは、共に恵みの主に仕える同労者でした。

主の恵みに徹する一人ひとりでありたいものです。


 Ⅱ.共に真実な主に整えていただく 8~21節

キリストと共に死んで、キリストと共に生きる者は、「常に真実であられる」キリストにより、苦難と試練の中をも歩み続けます(9~13節)。

その真実な主は、「真理の言葉を正しく伝える」ことのできるように、教えることと、そのように生きることができるように整えてくださいます(15節)。そのために、「貴いことに用いられる器」として用いていただくために、卑しいものを離れ去り、避ける決断をすることが必要です(16~18節)。そして、キリストの血潮と聖霊によってきよめ続けていただくのです(20~21節)。

真実な主は、有能な器ではなく、血潮と聖霊によってきよめられた有用な器を神に役立つものとして用いてくださいます。


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# by nazach | 2017-07-09 12:45

新しく生まれる

■聖書の箇所 ヨハネ3章1~21節


 ローマ人への手紙10章17節に、次のような御言葉があります。「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである」と。

 信仰とは、イエス様を救い主として信じること、その言葉を聞いて信じることです。キリストの言葉を聞いて、その言葉を素直に受け入れてください。心に信じて、本当にそうです。アーメンですと、言ってください。そのとき、あなたの心に上から、神からの光がさします。それが、新しく生まれるということです。神の言葉によって生きるということです。その光を受けることなしに、人はどんなに誠実な努力をしても、神の愛の支配を見ることも、受けることもできないのです。

 主イエスは答えて言われました。「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と。それでも、ニコデモは私たち人類を代表して答えます。9節「どうして、そんなことがあり得ましょうか」と。

 彼は、神の言葉が語られ、その働きがなされているのに、それを信じることができませんでした。それに対して主イエスは答えて言われます。「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない」と。

 ここで主は深く嘆いておられます。神の素晴らしい救いの業が目の前で行われているのに、それを見ること、聞くこと、その心で感じることをしない人々に対する深い嘆きです。ニコデモはそんな私たち人類を代表して、主イエスの前に立っているのです。


 主イエスは、ここで、昔イスラエルの民に起こった歴史的な出来事を語りつつ、すべての人々が罪から救われる道をお示しになられました。それは、モーセが荒野で青銅の蛇を上げたように、人の子すなわち主イエスご自身がすべての人の身代わりとして、十字架に上げられなければならないこと、十字架を、信仰を持って見上げる人々が救われ、永遠の命を得るということでした。


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# by nazach | 2017-07-02 12:43

一切の秘訣

■聖書の箇所 ピリピ4章12、13節


  メッセージ 久保木 勁師


 ここで、使徒パウロが言っている「秘訣を心得ている」の「秘訣」とは、「物事に対処するのに特別に良い方法」のことであり、「心得ている」とは「身につけているということ」なのです。それを、11節では、「学んだ」と言っているのですが、それは、テレビのCMにも使われている「何かを学ぶのに、自分で経験する以上に、いい方法はない」というアインシュタインの言葉どおりに、「経験によって学んだ」という意味です。

 12節に、「貧に処する道も、富におる道も」とありますが、「道」は実際にとおってみて、よく分かるものです。

 使徒パウロが言わんとする「一切の秘訣」は、13節の「私を強くして下さる方によって、何事でもすることができる」に尽きています。と聞くと、そんな秘訣を心得ることができるのは、使徒パウロのような「特別な人」の話であって、「普通の人には無理」「そんな強い人に、とても私はなれない」と思いがちではないでしょうか。


 しかし、コリント人への第二の手紙12章7~10節を読むと、「私の力は弱い所に完全にあらわれる」と言われる主の約束があればこそ、どんなに自分が弱く、無力であろうとも、そのことに甘んじることさえできる。ただし、その弱い、無力な自分を「支えて下さる方」が常に一緒にいて下さることが絶対に必要不可欠であると、使徒パウロが言わんとしていることが分かります。

 ヨハネによる福音書15章5節では、主イエスご自身が、「ぶどうの木と枝のたとえ」を用いて、「私から離れては、あなたがたは何一つできない」と言い切っておられます。枝だけでは、実を結ぶことは不可能です。実を結ぶには、木にしっかりつながっていなければならないのです。

 最後に、ヘブル人への手紙4章16節の「恵みの御座への招き」に注目しましょう。「御座」とは、「王座」のことです。私たちの弱さを思いやって下さる方は、「王」であり、「主」なのです。本当に恵みと時機を得た助けを得たいとすれば、何より、イエス・キリストを「王」とし、「主」とすることです。


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# by nazach | 2017-06-25 12:40